むかしむかし
ひとはみな
さかなだった
1981年、のちの下北沢演劇文化繚乱の時代を予兆する事件が起きた。
ザ・スズナリの実質的なこけら落とし公演となった『うお傳説』〈転位・21 作・演出 山崎哲〉。
当時の劇評において扇田昭彦氏は次のように書いた。
「衝撃的な舞台だった。いいとか充実しているとか、よくできているといった形容詞を超える迫力と感銘がこの舞台にはある。
あえていえば、何か黒く大きく重たいものがずんと身体にぶちあたってきた感じ。」(美術手帖1981年8月号より抜粋)
以来30年間、伝説的に語り継がれてきた舞台が、演出家・関美能留(三条会)と実力派俳優陣の手により、
まったく新たな時代性と虚構性をともなって再びザ・スズナリの舞台によみがえる。
関美能留さんが燐光群にいたのは1992年頃のことだと思う。
『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』再演で、私はスズナリの舞台で彼と共演しているのだ。
その彼が、かつて私が〈転位・21〉に在籍していた頃のザ・スズナリとの出会い以来、スズナリにこだわり続けているのを見習ってか、
〈三条会〉を結成してからもザ・スズナリで上演を続けてくれていることは、たいへん嬉しいことである。
今回『うお傳説』が、ザ・スズナリ30周年記念公演として関さんの演出で上演されることは、刺激的な事件である。
シェイクスピアを解体する彼の手つきが、あの『うお傳説』をどのように解体するか、これは本年屈指の見物である。
坂手洋二(「燐光群」主宰)
この度、ザ・スズナリは開場30周年を迎える運びとなりました。
これもひとえに演劇を愛する皆様方のお力添えと、心より感謝申し上げます。
当時は、「ジァン・ジァン」、「自由劇場」などその時代を映す活気ある演劇小屋が都内にも数多くありましたが、
ここ数年は同時代を共にしてきた意義ある小劇場も閉館が続き、何かさみしい気もしております。
そういった時代の歩みをみても、30年という時の重さというものを感じざるを得ません。
多くの方々が、この劇場で汗をかき、笑い、涙し、時にはぶつかりあいながら作品を創り上げてきたその息遣いのようなものが、
劇場のあらゆる場所に沁みこんで、この空間を作り、成長させていただいてきたように思います。
自分にとっては本多劇場にさきがけて作った初の劇場ということもあり感慨もひとしおです。
これまでザ・スズナリを支えてきて下さった多くの劇団、お客さま、関係者の皆様にはこの場を借りまして深く御礼申し上げます。
今後も皆さまにとってより良い、活気ある劇場創りを目指し、一層の努力を心掛けて参ります。
どうぞご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
代表 本多一夫

【プロフィール】
1934年7月11日生まれ。北海道札幌市出身。
本多劇場グループ代表。
劇団経営者、実業家、俳優。
【経歴】
1955年、新東宝ニューフェイス第4期生として俳優デビュー。59年の新東宝倒産後、下北沢駅近くで一軒のバーを開店したところ、
俳優の集まる店として評判を呼ぶ。以後、60数店の飲食店、ビルマンション等を運営、実業家に転身。
しかし、演劇の世界を諦めきれず、80年に俳優養成所「本多スタジオ」を設立。
翌81年には若手演劇人のための実験劇場として「ザ・スズナリホール」を開場。
その後の「小劇場演劇ブーム」を追い風に、小劇場をオープンさせ、本多劇場グループを形成し、下北沢が「演劇の街」と称されるようになる。
ちなみに、現在の直営劇場は「ザ・スズナリ」(81年開場)、「本多劇場」(82年)、
「下北沢駅前劇場」(84年)、「横浜相鉄本多劇場」(88年)、「OFF・OFFシアター」(93年)、
「劇」小劇場(97年)、小劇場「楽園」(2007年)、「シアター711」(2009年)。
下北沢に7劇場、横浜に1劇場の合わせて8劇場のオーナーであり、自らもフリーの俳優として舞台に立っている。
「中劇場協議会」理事、「社団法人日本劇団協議会」顧問、「下北沢演劇祭」企画委員長」。
【受賞歴】
96年15周年記念公演「KAN-KAN」で、「読売演劇大賞」優秀作品受賞。
97年「第19回日本文化デザイン賞」受賞。
97年「世田谷区文化芸術功労賞」受賞。
2002年「世田谷区制施行70周年特別文化功労賞」受賞。
2005年文化庁長官表彰受賞。
2008年「渡辺晋賞」受賞。